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season2~ふたりの陰陽師編~
第五話『羽化の刻』

著:古樹佳夜
絵:花篠

(第四話はこちら)

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満月が運転する車で蘆屋家の本家へ向かう道中、
鳴り響いた携帯の着信は非通知だった。訝しみつつも阿文は電話をとった。

『おお、阿文か? ワシじゃ、ワシ! 
ちょっと困ったことになっておる。助けてくれぬか』
『阿文さん! お久しぶりです!』
電話口からは少年の声と、その言葉に被せるように男の声も聞こえる。
随分と騒がしい。その声には聞き覚えがあった。以前、とある怪異を追う中で
知り合いとなった酒呑童子と、その舎弟の茨木童子。
彼らは大江山に住んでいる鬼だ。二人とは長い付き合いで、今でも定期的に手紙のやり取りをしている。
「携帯にかかってくるなんて思いもよらなかったです」
酒呑童子は現代のテクノロジーに慣れていない。ゆえに阿文は携帯の番号を教えた記憶はなかった。

『茨木がインターネットとかいうのを使って、店に連絡してみたが、なかなかでねぇから、コウシュウデンワとかいうのでケイタイ番号にかけてるっ』
なるほど、言われてみればホームページに番号を載せていたのを思い出す。
「どうかしたのですか?」
『どうもこうも! 俺らが寝床にしている岩屋が襲われてメチャクチャなんだ。その上、まだ山で暴れていやがる。おかげで山から追い出されちまって』
「え! では、今どちらにいらっしゃるんですか?」
『ひとまず人間のいる街に避難してるぜ。頼るモンも近くにいねぇし、困ってんだ。不思議堂のお前らだけが頼りなんだよ』
心底弱ったと酒呑童子はため息をついている。電話の後ろでは茨木の「お願いします!」という大きな声もしていた。
「す、すみません、……そちらに助けに行きたいのは山々ですが、
今僕たち手が離せない状況でして」
言いかけたところで、隣で漏れた会話を聞いていた満月が、割って入った。
「大江山なら、蘆屋本家にも近い。付近にいるなら、ピックアップしていくが」
電話の相手が置かれた状況が、芳しくないことを察したのかもしれない。満月の提案に酒呑童子は喜んだ。早速阿文と満月は、指定された待ち合わせ場所――国道沿いのガソリンスタンドに向かった。


◆――国道沿いのガソリンスタンド。

そこには小さなコーヒーショップが併設されていた。
「おう、阿文か。元気そうじゃねぇか」
「お久しぶりです」
小柄な少年と大男が阿文に手を振る。二人はカウンターに腰掛けて、甘いコーヒーを啜っていたようだった。「こんな甘ったるい汁より、辛い日本酒が飲みてぇ」と酒呑童子はぶつぶつ文句を垂れている。
酒呑童子を見るなり「随分小さいんだな……」と満月は呟いていた。まさか、平安の世を騒がせた伝説の鬼が少年の風貌をしているとは思いもよらなかったらしい。

「みない間に、吽野は随分デカく育ったな?」
満月を見とめて、酒呑童子はカラカラと笑った。
「違いますよアニキ。これは吽野アニさんじゃないです」
「ああ、本当だ。別人か」
ボケる酒呑童子に茨木が素早く突っ込む。阿文は満月を二人に紹介し、彼が
蘆屋道満の子孫で、現役の陰陽師であること。今は満月の式神として一時的に
力を借りていることを説明した。

「そいつは心強い。では陰陽師に相談に乗ってもらおうか」
酒呑童子の話では、岩屋を襲撃してきたのは
昔から近くに住んでた顔馴染みの土地神だったらしい。
「狂って襲いかかってきたんだ。まるで悪いもんに当てられちまったみたいにな」
満月は腕を組んで、考えを巡らせる。
「……もしかしたら、事態は繋がっているのか?」
「どういうことですか?」
阿文が聞き返すと、満月はとって返し、3人に合図した。
「詳しいことは、本家の祠についてから話そう」
「ところで吽野はどこにいる? まさか、喧嘩したのか?」と酒呑童子も茨木も辺りをキョロつく。阿文は事情を話し、さらわれた吽野を捜索中であること、蘆屋家の本家に調査に向かう最中であることを告げた。酒呑童子は仰天し吽野の身を案じた。

◆――蘆屋家本家 祠の前

そこから一晩かけて車で移動し、ようやく本家に到着した。
満月に案内された本家の敷地は広大で、池や林を挟み一目では見渡せない程だった。門から続く小道からは、平屋の家屋が点在しており、
親戚筋や、本家の離れがいくつもあるのだと、満月は説明する。
途中、何人もの使用人が「お帰りなさい」と声をかけられたが、満月は軽く返事をしただけで、黙々と前に進む。
三十分ほど歩いた頃、ようやく裏門に辿り着いた。
「奥に見える山も蘆屋の敷地で、祠はその中だ」
裏門から、まっすぐと伸びる山道を前に、酒呑童子は「うへぇ」と情けない声を出した。登山が始まるとわかって、茨木の背におぶさる。いつものが始まったと、茨木はそれに黙って従う。その様子を見て、普段の吽野のことを思い、阿文は密かに胸を痛めていた。
「あと十分もしないうちに祠だ」
満月は振り返り気遣いを見せる。
「聞こうと思っていたが、祠っつうのは、なんの祠だい?」
酒呑童子は今更な質問を投げかける。先ほど説明をしたはずだが……。
「厭魅丸という、悪鬼の類を封じている」
「おお、懐かしい名前だ。ワシと同じ頃、平安京で暴れていた奴だな」
「知っているのか?」
「もちろんだ。奴はワシらよりもずっとタチが悪い鬼畜だ。
屍鬼を操る隠れ陰陽師……時の政府が断じて、奴は死刑になった」
酒呑童子の言葉からは、実際に見てきた歴史の重みを感じる。
「それも致し方ないだろう。 『死』を取り扱う術は陰陽道では禁忌。死は汚れであり、黄泉がえりは推奨されていないからな」
「死んだと思ったが、奴はすぐに復活してしばらく都で暴れ回っておった。
ワシは奴のしでかしたことで、犯してもいない悪事の濡れ衣を着させられたから、恨みがある!」
「何百年越しの恨みをぶつけてるんすか、アニキ」
「ワシたちはせいぜい、酒を盗んで、人を攫って、都で暴れたくらいだ。死体を蘇らせたりはしない」
十分にそちらもタチが悪い……と阿文は突っ込むか悩んで、やめておいた。代わりに、浮かんだ疑問を口にする。
「……殺された後に、どうやって復活できたんでしょう?」
「知らん」とそっけない酒呑童子の代わりに、満月が答えた。
「死刑になる直前、呪詛と怨念の塊を招魂の儀式で集め、外道を駆使して『人工の鬼』を作り、その身に宿した。奴は、『屍鬼』に成り変わり安倍と蘆屋でそれを調伏した……と伝え聴いている」
「いつの間にか陰陽師に始末されて、見なくなっていたが。まさかこの石の下に押し込まれていたとはなぁ」

「ついたぞ」
満月の合図で、一同前方に顔を向けるが……
そこには石が積んであった形跡しかなく、、道の端には砕けた大岩だけが転がっていた。
満月は惨状を見て。やれやれとため息をつく。
「こりゃあひどい。粉々に壊されてる」
「見事、封印は解けておるようだなぁ!」
酒呑童子と茨木は祠だった場所をぐるぐると回ってみる。
一方、満月はしゃがみ込んで祠の残骸をひっくり返し、うーんと唸った。
「やはり、勾玉が持ち去られている」
「勾玉?」
「厭魅丸が蘇るため残した勾玉だ。鬼を作るための依代――怨念が一つの命を得るに至った元凶。我々陰陽師は、この依代に厭魅丸を封印し直していた」
満月は立ち上がり顎をすった。
「これではっきりした。厭魅丸は完全に復活している。おそらく、雪明を依代にしてな。その影響で各地の神々が悪鬼と化し暴れ回っているのだろう」
「ふむ。確かに2つの事件が繋がった、というわけだ」

酒呑童子が腹落ちしたその時。大岩の裏から地面を踏み締める音が聞こえた。

音のする方に目をやると、そこには立ちはだかる人影がある。
「先生……!」
現れたのは、吽野だった。
目は虚で、精気が感じられない。ようやく立っているような様子だった。
「大丈夫か、具合が悪いのか?」
阿文が手を差し伸べると、吽野は血相を変えてその手を払った。途端に、吽野は膝を追って四つ這いになり、獣のような格好になった。

「なんてこと。完全に手に負えん。岩屋を襲ってきた土地神そっくりだ!」
手強い敵だと判断した茨木は、酒呑童子を抱えてその場を少し離れる。

「阿文、こっちに来い!」
慌てて満月が阿文の袖を強く引っ張る。
「この子が、君に会いたがったから、ここまで来たんだよね」
吽野の背後には、いつの間にか雪明が立っていた。
「雪明、どうして厭魅丸を復活させたんだ? お前が依代になっているんだろう?」
満月が投げかけても、雪明は微笑むだけだ。ただ、
「今にわかるさ」
そう言って、吽野の背に手を置く。その衝撃で、吽野はびくりとのけぞり、
肩を怒らせながら、目の前の阿文に向かって突進していった。その様は知性を忘れ、ただ血に飢えて突き進んでくる狼の姿そのものだった。
「うわ!」
飛びかかる吽野を避けきれずに、阿文は尻餅をつく。
満月はすかさず阿文に呪文を施し、式神化して応戦するが、吽野の攻撃には
一切のためらいがなく、阿文の腕や首筋に食らいついて歯を立てる。
「ぐうう」
雪明の完全な操り人形と化している吽野は、一言も言葉を発さず、獣のような唸りをあげるだけだった。本来自我のしっかりとした相棒が、正気を失って
暴れ回る様は阿文の心を抉る。うまく応戦することができないでいた。
「どうしたの? 相方のこの姿、阿文君は気に入らなかったかな?」
「阿文、吽野に遠慮するな!」
かわすばかりで攻撃に転じない阿文に満月も檄を飛ばす。
「でも、先生が……!」
満月が呪符を出し、呪いをかけると、札は細長く伸びて、太刀となった。
手渡されるまま太刀を構えたが、阿文は大きく首を振る。
「先生に、こんなものは向けられない」
「いいからやれ! 死んでしまうぞ!」
命令に従わない阿文に痺れをきたして、満月は吽野の掌に刃を突き立て、
無理にでも二人を引き離す。吽野は「ぎゃあ!」と悲鳴をあげた。

「君が行かないなら、こちらから仕掛けようか」
雪明は足元に退避してきていた吽野の襟をぐいとひっぱり、手元に引き寄せた額を掴んだ。
「うぐ、うぐぁ……!」
呪い印が体を這い、みるみると全身が黒いアザの色に染まっていく。その様を目の当たりにして、阿文はゾッとした。
吽野は断末魔をあげて悶えながらも、その苦しみとは裏腹に、よろよろとこちらへ向かってくる。その様は、最後にひと噛みしてやろうと、病気の獣が捨て身で向かってる姿を思わせた。

「雪明、吽野を使い捨てるつもりか」
「先生!」

阿文は吽野に必死に呼びかけるが、口から血を吐き、喘いでいるだけで、何も反応しない。ただ、獣のように爪と牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
アザに蝕まれた吽野は、雪明の操られていながらも、足がもつれ、息も上がって、いよいよ地面に倒れ込み、それでもなお雪明の命令に従い、立ちあがろうとしている。
攻撃もままならず、よろよろとおぼつかない吽野を、阿文は抱き止めたが、そのまま二人とも足元に倒れ込んだ。
「このままでは先生が死んでしまう」
阿文は一筋の涙を流した。落涙が懐にしまった主人の箱を濡らす。阿吽の危機を知ってか、箱の中で主人が動き、熱を持っているのを感じていた。

「雪明、もうよせ! こいつらは関係ないだろう! 厭魅丸を復活させたいのなら、俺を攻撃して来い!」
満月の呼びかけに、雪明は応えなかった。代わりに、右の小指を立てて、満月に何かの合図をする。その様子は、先ほどまでとはまるで違っていた。

「満月……、僕を、殺してくれ」
「何?」
「約束だろう。僕を、このまま、コロ……」
言いかけて、雪明は身悶えてその場に倒れ込んだ。急な事態に、満月も動揺する。その言葉はまるで、雪明の意思ではないようだった。
「厭魅丸の全ては、僕の中だ、今ならやれる。早く」
満月はその様子に驚きつつも、具に観察し、状況を把握しようとしている。

その時、地面を舐めたままだった吽野が小さくつぶやいた。
「阿文、クン……」
呼びかけた言葉に、阿文は思わず涙を一筋流す。
「先生……? 正気に戻ったのか?」
「胸が、痛くて……」
もう吽野に戦意は感じられなかった。そばにいて様子を窺っていた酒呑童子と茨木も手伝い動けない吽野を仰向けにさせる。吽野自身も「ここだ」と胸を指さして、阿文は着物をはだけさせる。

阿文の目に飛び込んできたのは、胸元に深々と刺さった杭のようなものだった。雪明が刺したものだ。
「これはなんだ?」
「……っ」痛みがあるのか、吽野は答えない。代わりに悶えるばかりだ。
「これ、というのは? なんのことだ?」
「さあ?」
酒呑童子と茨木には杭が見えていないようだった。
覗き込む満月はハッとする。
「勾玉だ」
満月が雪明に視線を送ると、雪明は目を閉じたまま、口だけを動かしていた。
「その勾玉は、もう依代じゃない。呪いを浄化するだけのものだ。その子を解放する準備はできてるよ。だから……」
「わかった。俺が浄化の力を増幅させたらいいんだな?」
満月が問いかけると、雪明は小さく頷いた。
「彼を助けて。そして、その後に、僕を……!」
「わかってる」

満月は阿文に目配せする。

「阿文、吽野を助けられるぞ。お前も協力しろ」
「え……? でも、どうやって」
「呪いの浄化を試みる。お前らの主人の協力も必要だ」
満月は阿文の懐に手を置き、語りかける。
すると、阿文の胸元が熱を持つ。箱の隙間から眩い光が漏れ出ている。
阿文が蓋を開け、満月が主人を慎重につまむと、吽野の胸の辺りに置いた。ちょうど、杭が打ち込まれた辺りだ。
「阿文、お前にも吽野に刺さったものが見えるだろう」
「はい」
「いいか、手を置いて、合図したら一気に引き抜くんだ。お前がやれ」
「……わかりました」
阿文は言われるままに従った。今の満月には、状況を打破してくれるだろうという、確かな説得力を感じた。

満月は阿文の背中越しに力を注ぐ。体の内側から湧き上がる気の流れを感じる。不思議なことに、吽野の胸に刺さった杭に、みるみると黒い澱のようなものが吸収されていく。同時に吽野の顔色も回復し、血の気が戻っていくのがわかった。
「いまだ!」
満月の合図とともに、阿文が杭に力をこめて引き抜く。
抜き切った後、目を開けた吽野は、ゆっくりと上半身を起こし、救ってくれた阿文に思わず抱きつく。
「阿行、ありがとう」
真名を呼ぶと、阿文は微笑んだ。
「よかった。吽行」
二人の様を見守っていた酒呑童子たちも、安心したように笑みを見せる。

金色の蛹が、硬い殻を破ろうともぞもぞと動き、そして、背中に一筋の亀裂が走る。蛹の背が割れ、眩い白い光を放ちながら、折りたたまれていた
大きな羽が開いていく。その姿は神々しいアゲハ蝶となった。
「主人様……!」
現世に顕現した姿に、二人は歓喜する。それは、封じられた神の復活の兆だった。

地に臥していた雪明が、ゆらりと立ち上がる。
上半身に力を持たずに、まぶたは完全に閉じて、その様は、まるで屍のように見えた。
【この依代は、死してなお勝手な足掻きを】
雪明の喉奥から、禍々しい掠れ声が聞こえる。
「雪明の中の厭魅丸だ。完全に目覚めたな」

「吽野、阿文。まだ、大きな仕事が残っているぞ」
目の前に立ちはだかった厭魅丸を倒すのだろうと二人は察する。
「けれど、どうしたら……」
「方法はある。お前らの主人に直接力を借りるんだ。――神の依代になってな」

【力を貸しましょう】

主人が阿文の手から羽ばたき、阿行と吽行の頭上に舞い上がる。
満身創痍の二人を、主人の放った加護が包む。熱い熱の渦中で、傷は癒え、首筋を長くうねる髪がくすぐった。爪の先、髪の先まで主人の力が宿っている。
阿行も吽行もお互いの変貌した姿に目を見張った。髪も、着物も――
その姿はかつて主人の下に仕えていた時の、二人の真の姿だった。肌に浮き出ている紋様は、もはや使役される式神として刻まれてはおらず、主人に仕える証として存在している。主人と神の使いを確かに繋ぐものだ。
依代となった二人の神々しさに、満月は少し呆気に取られつつも、口の端で笑みを作った。
【阿行、吽行。万物の始まりと終わりを司る――一対の剣を授けましょう】

宙から一対の剣が舞い降りてくる。それは、鮮やかな緋と、純白の鞘に収まった神器だった。阿行と吽行は深々と首を垂れ手から剣を手に取る。
そして――

「吽行、始めよう」
「いよいよ、けりをつける時だな。阿行!」

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【第五話 了】
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